前田慶次といえば、今ではもう少年ジャンプで連載されていた、隆慶一郎原作、原哲夫作画の戦漫画「花の慶次」の主人公を思い出すのは当たり前となっています。
傾奇者である慶次は、少々はみだし者のように感じても、その生き方がとても魅力的で、人生そのものをいかに楽しく生きるかを教えてくれます。
男くさい作風ではあっても、彼らの言葉は誰の心にも響くものではないでしょうか。
作品を読んではいない人でも、彼(作中のキャラクター)としての前田慶次のことは知っている人は多いのではないでしょうか?
今回は、前田慶次が遺してくれた多くの言葉たちの中から、特に響いたものを3つ紹介します。
1.「運があれば毒を盛られても生き延びる。見放されれば瓦が落ちて来ても人は死ぬ。これは遊びですよ。遊びは危険なほど楽しくはござらんか?」
様々な経験を通して感じた人生のおもしろみ。
なるほどとうなずけるひとことです。
「人生は遊びである」ということと、全ては天の運によって決められているということ。
だからこそ、人生は自由であって、もっと楽しもうということでしょうね。
人間は死ぬ時は死ぬし、そうでなければ生き延びる。
ただそれだけのことでしかないのは確かです。
どれだけ頑張っても運命には逆らえないし、この世に生まれた以上は、死ぬことは決まっています。
だからこそ、今を楽しみ、生きることを喜び、命尽きるまで遊び尽くそうということなのでしょうね。
2.「人は日に米は三合 畳は一畳あれば十分 そんなことより一献くれまいか?」
どうでもいいことばかりで、それよりも今を楽しみましょうというひとこと。
これも、慶次らしい言葉であり、生きることのありがたさを知っているからこそ言える言葉ですね。
人が生きて行くために必要なものは、そんなに多くはない。
それが欲しい、手放したくないと感じるのは、我欲や怖れによるものでしかない。
真に生きる喜びを知っていれば、食べるものと寝る場所さえあれば十分なのは間違いありません。
前後の会話はわかりませんが、こういった場面はよくあるものです。
そんなつまらない話はいいから、楽しく食べて飲んでぐっすり眠ろう。
人生はやっぱり遊びでしかないと、慶次が教えてくれますね。
3.「だが、それがいい」
これが、最も人生を極めている人間の言葉と言えます。
人間はそんなものであり、仏や神になることなど出来ない。
上手く生きようと思っても、失敗ばかりするもの。
ダメなところもあって当然なのが人間。
カッコ悪くても、ボロボロになったとしても、それがまた良かったりするもの。
辛いこと苦しいことも、生きているからこそ味わえるものであり、たまに楽しいことや嬉しいことがあると、それだけで幸せになることが出来る。
色々あるけども、それがいい。
望む結果にならなくても、それだけ必死に生きているという証拠なのだから、それでいいんでしょうね。
「だがそれがいい」
これこそが、最高のひとことかもしれません。