泣ける漫画として注目を集めた「四月は君の嘘」。
ヒロインである宮園かをりが重い病気を患っていますが、病気の正体はなんだったのでしょうか?
作中では明かされることのなかった部分に迫ります。
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作中で何度も倒れたりしているヒロインのかをり。
未だにその病名は明かされていません。
症状から考えられる病気と、それをあえて明かすことをしなかった理由として、作者から多くの読者への配慮があったようです。
ネット上でもかをりの病気への注目度が高い
意外にもかをりの病気について気にしている方は多くおられるようです。
アニメをリアルタイムで見ていた方たちは、突然かをりが倒れてしまったことで驚いていたようです。
作品が完結してからもかをりの病気については様々な議論がなされ、結局のところ正式な発表がないために詳細は分からずじまいです。
症状から予測するかをりの病気
ネット上で、みなさんの知識を終結して病気の正体が予測されています。
【主な症状】
・意識を失って倒れることがある
・体の力が入らなくなり自力で立ち上がれなくなる
・手術は可能だが成功率は低く命を失うリスクもある
・出血が止まりにくい
序盤ではたまに倒れる程度ですが、後半あたりでは自力で立ち上がれないために、完全に車いす状態になってしまいます。
また、渡と公生の二人で見舞いにいった時、突然発作のような状態になって一時的に危険な状態にまでなります。
作品の中にあるいくつかのヒントから、ネット上では筋ジストロフィー、パーキンソン病、脊髄小脳変性症などが挙がっています。
確かにとうなずける部分のありますが、真相は定かではありません。
出血が止まりにくいところを見ると、白血病の疑いもありますがなんとも言えませんね。
いずれにせよ、恐らく今後もこの病気について明かされることはないと思うので、見る人の解釈によりますね。
かをりの病気が明かされない理由は?
確かに、病気のことに一切触れられずに作品が終わり、完結してからも発表はありません。
恐らくこれは、そういった疑問があることを知っていながらも作者の意図で明かしていないのだと考えられます。
病気を扱う物語というのは、感動を呼ぶものではありますが、作品のストーリーを作るにあたって気を付けないことがあります。
それは、作品が世間の目に触れて、何かしらの影響を与えてしまうということ。
特に難病という題材を扱うものほどシビアに考えなければならず、その固有名を安易に明確に表すことはできません。
漫画だけにとどまらず、アニメや映画、ドラマなど全般にこれは一つの物語を作る時には常識的なことだったりします。
戦争や殺人などもそうですが、あまり事実との繋がりが発生してしまうであろう物語は、固有名を出すと何かと問題視されてしまいます。
漫画などでも、ありえないような名前のキャラクターにするのも、現実世界に同じ名前がまずいないであろうという配慮があります。
仮にもし、同じ名前の登場人物がいて、それが個性的なキャラクターだったりすれば、必ずその名前のことで周囲から弄られることになります。
それと同じで、かをりの病気をはっきりと名言してしまうことは、その病気のイメージを変えてしまうためにできないのだと思われます。
作中でかをりは亡くなってしまいますが、病名がはっきりしていると、同じ病気を患っている患者にはどのように映るでしょうか。
それくらいのことは誰でも予想できます。
そういった配慮によって、今後も病気の正体は明かされないものだと考えます。
病名は物語には関係ない?
この物語をしっかりと理解して入り込めていれば、病名は大した問題ではないことはわかるはずです。
作者が伝えたかったことは、今と言う時間を精いっぱい生きるということ。
過去に囚われて前に進めない公生。
残されたわずかな時間を精いっぱい生きようとするかをり。
生きるということに対して正反対でいる二人が出会い、そしてまた「生きる」という本当の意味にみんなが気づかされます。
いつ自分の人生が終わるかはわからない。
本当にそれで生きていると言えるのか?
本当にそれで後悔しない人生を送れるのか?
読者を含めて、かをりからの強いメッセージを受ける作品です。
もはやそこに病名などは関係ありませんね。
それは誰にも同じことで、明日あなたが車に撥ねられて死ぬかもしれません。
人生が終わる理由と、今を精いっぱい生きることにはなんら関係のないこと。
作品を通して読者や視聴者に伝えたいことは、病気による死ではなく、正反対の「生きる」ということなのですね。
病気が治っていたらどうなった?
終盤に近づくにつれ、なんとなく病気が治らないことは予想ができてしまいます。
ですが、本音を言うとかをりちゃんがなんとか生きて戻ってくることを願ったりしてしまいます。
しかし、一つの作品という視点から見れば、やはり治ってまた舞台に立つという設定ではちょっと拍子抜けしてしまいます。
生きていてほしかったというのは、あくまで作品の中に登場する宮園かをりという一人の人物に対する個人的な感情。
それは、公生、渡、椿、柏木、両親。
かをりにかかわるすべての人が思うことなので当然と言えば当然の感情です。
ただ、こうした現実を受け止めることもこの作品の良さですし、漫画だからこそ伝えられる物語だと思います。
仮にこれが現実として起こったらどうでしょうか?
そうなるよりも、漫画というものでよりリアルに再現し、疑似体験することで大切な何かを感じることができます。
最終的に助からないことによって何かを感じ、何かを思うことができるのです。
生きてい居てほしかったと願うことは、それだけ人間としてリアルな描写ができていたということですから、作品のすばらしさをつくづく感じますね。
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作者が本当に伝えたいこと
作者である新川真司さんと直接お話ししたわけではありませんので、真相はわかりませんが、本当に伝えたかったことは病気でもなくピアノでもなく青春でもないと思います。
とにかく「生きる」ということ。
登場するのは中学生で音楽というものを題材にしていますが、見る人の視点によって解釈が違ってくると思います。
ですが、基本は「生きる」ということの真理。
同じ中学生なら、恋愛漫画として感じるかもしれませんが、ある程度の経験を積んできた社会人であれば深く理解できるのではないでしょうか。
公生は過去に囚われてネガティブになり、前向きになれずに足踏みしている。
渡はいつも明るく、何でもポジティブにとらえ、とにかく行動してみる。
椿は当たり前にある日常の中で、当たり前に感じていたものがとても大切なものだと気づかず、自分に素直になれない。
柏木はいつも冷静に物事を判断し、客観的な視点から適格なアドバイスができる。
どれも自分の中に思い当たる節があると思いませんか?
ネガティブな自分。
ポジティブな自分。
素直に幸せを感じられない自分。
冷静で客観的に見ている自分。
登場するどのキャラクターも、誰もが持ち合わせている人間の感情を表しているように思います。
そして、全てを変えて前進させてくれるのが宮園かをりです。
死というものを身近に感じているからこそ、生きるということに真剣に向き合います。
私たちは、本当に真剣に「生きている」と言えるのか?
そのことに気づかされます。
生きることは息をすることではない。
今という時間を精いっぱい生きて、後悔のない人生を送ること。
かをりはわずか15年という歳月で人生を終えましたが、私たちも今ある人生はいつ終わるかはわかりません。
人生は有限であり、後悔はしたくはないですよね。
そういったことを、かをりは残りの人生で一生懸命に表現してくれました。
登場する人物を変えることだけでなく、読者にもそれは伝わっています。
作者が本当に伝えたかったことは、「生きる」ということの大切さ。
それを宮園かをりというキャラクターを通じ、病気という設定と短い生涯を描き、読者に伝えたかったのではないでしょうか。
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