電波教師ネタバレ156「じゃパン作り!」焼きたてじゃパン!?

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焼きたてがうまい!
YD教師がじゃパン作り!?

家庭科を馬鹿にする生徒たち。
彼らに鑑が提案するのは!?

電波教師とは?

YD=やりたいことしかできないオタク人間=鑑純一郎。
無職でクズのような生活をしていた彼を、妹の純音が強制的に教師にした。

そして彼はいつの間にか伝説の教師となった。
教え子たちの卒業に伴って、行方をくらましていたが、質の悪い教師たちに苦しむ少年を見て、再度立ち上がった!

登場人物

鑑純一郎(かがみじゅんいちろう)
YD=やりたいことしかできない超オタク。
質の悪い教育に苦しむ生徒を見て、再度教師の道へ!!

鑑純音(かがみすずね)
純一郎の妹。
元、銀杏学園生徒。
卒業後も凶暴なまでの兄想いの体育会系女子。

桃園マキナ(ももぞのまきな)
元、私立銀杏学園の生徒会長。
学園を誰よりも愛し、鑑を探していた。

柊暦(ひいらぎこよみ
学園の理事長。
ただ美しいだけでなく、オプションがついている。

上杉博美(うえすぎひろみ)
家庭科教師。
家庭科を馬鹿にする生徒たちに悩まされ、自信をなくしている。

武田勝利(たけだかつとし)
超金持ち生徒。
経営者の資質があり、発想が合理的。
毛定価を馬鹿にしていた。

※以下からの内容はネタバレを含みます。

内容・ネタバレ

鑑の家庭科の授業で究極のパン「じゃパン」を作ることになった。

「じゃパン」とは「焼きたて!じゃパン」

それはかつて週刊少年サンデーで連載された史上初の樋口たかしさんによるパン漫画!
パンだけを題材にした漫画で、アニメ化もされたという。

その中で、主人公・東和馬がドイツパンやフランスパンのように、国名を冠するにふさわしい究極のパン「じゃパン」作りを目指す。

焼きたてじゃパン電波教師

生徒たちの中にも何人かは再放送などで知っているようだった。

それは
「日本人の日本人による日本人のためのパン」

そして肝心なパンのつくり方など知らない鑑は、上杉先生に任せて出て行く。

電波教師

躊躇する上杉だが、興味を持った生徒たちは、図書室から「じゃパン」を持ってきて、率先して作業をやり始めていた。

江口は生地をべちょべちょにして「おっパン」を作りたいのだという。

上杉は分量のアドバイスをするが一向に聞かない。
見ると他の生徒たちも、それぞれが好きなように始めていて、やっていることはめちゃくちゃだった。

上杉
「こんなのもう授業じゃない」

そう言ってマキナも一緒に鑑を呼びに行く。

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鑑は「じゃパン」のアニメを見ながら、リアクションのポーズを必死で真似していた。

電波教師鑑

上杉とマキナは、自分たちには手に負えないから、「じゃパン」作りを生徒に教えてあげてほしいという。

しかし、料理などしたこともない鑑は教えられうわけがない。
そもそも、「じゃパン」が作れるかどうかはそうでもいいという。

狙いは生徒たちにオリジナルを生み出す面白さを感じさせること。
家庭科の楽しさの本質はそこにあるという。

「自分の自由な発想で生まれてくるものは」
「全てオリジナルだ」

電波教師

「アンタはそれを手助けしてやればいいんだ」

生徒たちのやることはむちゃくちゃで飽きっぽい。
だが、各々の望んでる本質を見極めれば飽きさせずに済むという。

実際に、次第に飽きてくる生徒がちらほら出てきた。

うまくいかないから。
「じゃパン」は作れない。
そもそも東和馬みたいにパン作りの天才じゃないし。

結局飽きてきた生徒たちは作業をやめて帰ろうとする。

だが、そんな中でも一人だけ黙々と作業を続ける生徒がいた。

「お前ら」

「だからお前たちは貧乏人なんだ」

電波教師武田

武田は、作業をやめようとする自分がやっていつことの可能性を全くわかっていないという。

もし国民食とも言えるパンを作ることができたら。
週に三回でも日本国民がそのパンを食べるとしたら月の売上は3000億円以上。

「自分がやっていることの可能性に気づかずすぐあきらめる」
「だからお前たちは貧乏人のバカなんだ」

電波教師武田

確かに武田の言うとおり。

みんなで理想のオリジナルパンを作る。
それがみんなにとっての「じゃパン」になる。

そう言って前向きなことを言い始めた上杉。

作るために必要なレシピの分量は計算する。

鑑の授業は載せられるみたいと言っていた武田だが。

「君子豹変す」

電波教師武田

あやまりに気づいたからこそすぐに軌道修正し、家庭科の本質、無限のbジネスになりえる可能性を見出したという。

江口だけはカネではなく「おっパン」にこだわっていた・・・。

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その江口にも、上杉はどうしたら本物以上の感触が出せるのか、丁寧に手ほどきした。

電波教師江口に教える上杉先生

江口を含め、それを見ていた生徒たちも再びやる気を出した。

上杉
(教育実習の時)
(クラスをうまくまとめることができなかった)

(担任を持たない家庭科なら)
(教科書にのっているメニューを分量通り作って教えればできる)

(でも私は間違っていた)

(生徒と同じように、料理にも個性があっていい)
(生徒それぞれの興味に応じたものを作るきっかけ・・・)

(自分だけの作品を作る面白さを感じさせる)

(これが家庭科の本当の楽しさ)

ククルはメンコののようになげられるパンを作りたいと言うが、食べ物をなげることに抵抗を感じたマキナは止めようとする。

しかし、上杉はそれを許した。

「トマト祭りとか食べ物を投げるイベントもありますし」
「投げた後に食べることだってできます」

「それよりどんなものであれ自分の作ってみたいものを作る楽しさに触れてもらうことがこの授業の楽しさですから」

マキナ
(先生まで変えちゃうなんて)
(本当にあなたって人は)

翌日

武田
「すばらしい授業ありがとうございました」
「私が師と認めた証、人間国宝の手による本物の竹馬です」

電波教師武田竹馬プレゼント


「いらねえ」

感想

なんだかんだで今回もうまいこといきました。

基本的に小学生は家庭科は好きだと思うんですよね。
でも確かにその授業で、分量を正しくとか、時間をきっちりとかばかり教えると、どちらかというと料理の面白くない側面を先に教えてしまうことになるので生徒は飽きてしまうでしょうね。

一度は自分たちでやらせてみて、失敗してから、なぜその分量なのか、なぜそのような手順を踏むのかなどの本質を理解していくことが大切でしょう。

特に料理は、繰り返し行うようになると、どうしたら同じ味が出せるか、どうやったら効率的に短時間で済ませられるかというところにいきついてしまいます。
そしてそれは先人たちの知識の詰まった、レシピという形で残されていますが、そのレシピの意味自体がわからないのだから、いきなりそこから教えてもそりゃつまんないですよ。

何かと出てくるあっちのネタ

江口という少しマセた生徒が出てきてしまったことで、ちょいちょいそっちのネタがはさまれるようになってきました。

江口とマキナとの話で、マキナのコスプレを楽しみにしていた方もおられるでしょうが、まあちょっと記事にするのに抵抗があって、見送りました。

まあ大人の事情ってやつなのでご了承ください。

料理の本質は時代とともに変わった

確かに鑑の考えていることに反対はしません。

しかし、私が小さい頃には、料理に限らずとにかく「もったいない」というのが基本でした。

「もったいない」という言葉が世界のどこの国でも同じ意味の言葉がないと言われていることは有名。
それくらい、日本の「もったいない」という文化は独特で、狭い島国で生きてきたからこそ見出された思想。

「とにかくものを大切に使いなさい」とよくいわれたものです。

しかし、高度経済成長を遂げたあと、近年ではこの「もったいない」という思想は消えつつあります。

ものが溢れかえり、いつでもどこでも安く、いくらでもほとんどの物が手にはいる時代になりました。

実際に生活する上でも、ある程度使い古して不具合が出てきたものはすぐに買い換えるのが普通になってきました。

昔なら「まだ使える」「直して使え」と言われていたものが、今では逆に「そんなボロボロみっともないいから買い替えなさい」という考えの方が多いのではないでしょうか。

それは料理も同じ。
実際にこのストーリーの中でも「もったいないから」という言葉は出てこないし。
「好きなようにやらせる」ということは、材料や時間は気にしなくていいからやってみろということ。

つまりそこには、限られた材料で作ることや、あまった食材でどうにか一品できないかということは一切教えようとしていない。

昔なら、日本の料理の真髄はそこにあったはずだが、「好きなようにやってみろ」と言えるまでに日本は豊かになったということなのだろう。

武田はやはり賢い!

最初は子供らしくない面白みのない生徒のように思いましたが、意外と柔軟で、しっかり本質を見据えるセンスがあるようです。

これは、ビジネスシーンで役立つ嗅覚で、彼は将来ビッグになるかもしれませんね。

何をやるにしてもそこから無限の可能性を考える。

「もしこれがこうだったら」
「もしこれをこうすることができたら」
そうした発想が、人類の文明を発展させてきたし、これからも発展していく。

そのことは、鑑が最も押している部分で、考え方が武田と鑑は完全にマッチしている。

たしかに常識を教えることは大事だが、そればかり教えていると、常識からは一生抜け出せない。
つまり、常識では考えられないことを想像する力がなくなっていく。

鑑のような授業は賛否両論ありそうですが、少しくらいならあってもいいのかもしれませんね。

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